●不要不急のものとは
コーヒーの商いを細々とやっていて自覚するのは、
本質的にコーヒーはあってもなくてもいいものだ、ということです。
ある人に言わせれば、
スポーツこそ世の中に大切なものはない、だろうし
音楽は生活に必要なものだ、とか
またある人にとっては、落語(寄席)ほど世の中に欠かせないものはない、という。
見解はさまざまです。
言うまでもないことですが、
コーヒーを腹一杯飲み干しても多少(個人差は大きい)カフェインに酔うくらいです。
カロリーは無視して良いレベルなので、空腹の解消どころか飢餓の撲滅にも効果なし。
そんなものをわざわざ遠くから輸入した上に加工して売りさばく。
そういうことをしているので、それなりに考えることはあるのです。
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本質的には、あってもなくても良いものですが、
何処かの誰かにはアテにされるものを提供したい。
それが今願っていることです。
不平や不満が溜まりやすくて、
そこかしこで文句の言い合いをしたり傷つけあったりする世の中で、
多少なりとも緊張の緩和ができればいいじゃないですか。
本当は、誰もが同じように思って行動すればいいのだけど、
もしそうでもないのなら、
気がついた誰かが、少し緩めるための何かを提供しよう。
慰めでも励ましでもいい。つまらぬ冗談でも足りるかもしれない。
それがコーヒーじゃなくてもいいのですが、
コーヒーでできるなら喜んで提供しましょう。などと。